ハロウィンの週末です。日本でもだいぶポピュラーになってきてますが、こっちの人々の気合の入れようは比較になりません。
住んでる寮のロビーもハロウィンテイストに。
CELOPのロビーもにぎやか。
カメラを向ければみんなポーズとってくれます。
せっかくなので僕たちもボイルストン近くのクラブへ行くことに。しかし・・
めちゃくちゃ混んでて入れませんでした。残念。
友達の仮装。これは100ドルくらいしたらしい。マスクとか小道具がセットだと高いです。
自分はお金ないので10ドルのケープに4ドルのマスクを買っただけ。こんな姿で電車に乗れるのもアメリカならではです。
ただマスクを後ろにするとジブリの千と千尋にでてくるカオナシみたいになる。
ハロウィンははちゃめちゃですが、とても楽しいイベントです。
月別: 2010年10月
気がつけばこっちにきて1ヶ月以上が経ちました。アメリカの日常にもだんだん新鮮味が薄れてくる時期です。そろそろ書かないと忘れてしまいそうなので、雑多ですが書き連ねてみます。
こっちにきて困るのが自分の専攻の説明だ。
法政のキャリアデザイン学部はもともと教育学部の予定だっただけあって、やっぱり教育関連が充実している。実際自分が好んで取っているのも教育関連が多いし、ゼミの教授も図書館情報論とメディアリテラシーが専門なのでこれも教育関連といえるだろう。そんなこともあって、こっちにきてから専攻は何と聞かれたらほとんど教育と答えている。できればしっかり説明したいのだが、本当の内容がちょっとややこしすぎるのだ。
実際はキャリアを謳うだけあって本当になんでもありな学部だ。コアは教育・文化・コミュニティなどとといっているが、つまるところビジネスや社会学をかじりつつ生涯学習や雇用問題など今どきな問題も学び、価値観の多様化する今をどう生きるかを問い詰めることで、自分自身が、そして社会がより豊かな未来を創造するにはどうすればよいかを探求する学部である。うん、ぜんぜんつまっていない。これがどう英語で言えるだろうか。
もちろん学部の英名はある。Faculty of Life-long Learning and Career Studiesというのがそれだ。聞いてのとおり超長いうえに結局よくわからない。ためしに日本語を勉強しているアメリカ人の友達に見せてみたら「ワードチョイスがとても日本人ぽい」と笑われてしまった。Career Design Studiesのほうがシンプルでいいのでは、とのことだった。Career Designは和製英語ではあるものの、その意味するところは一応伝わるらしい。
こっち(アメリカ)の大学生は1・2年次はリベラルアーツの勉強をし、3年次に自分の専攻を決めるのが一般的だ。それまでは十分に悩むことができる。もちろん深く研究するためその多くが大学院へ進むなど違いはあるけれど、やっぱり本当にやりたいことを大学に入ってから探せるのはとてもいいシステムだと思う。そういった意味では、キャリアデザイン学部も「広く学び選択できるというスタイル」の日本における先駆けともいえるかもしれない。とくに自分のようにいろいろ幅広く勉強したい大学生にはいい学部だと思います。4年間というのはちょっと短いですが。
ただ、理解はしていても説明はやっぱり難しいです。日本語でも、英語でも。楽しい学部なんですが。
<コアクラストリップ>
今日はビジネスクラスの校外授業で世界的なバイオ企業であるジェンザイム(とくに希少疾患に特化した研究と医療で有名)の本社見学にいってきました。デジカメを忘れてしまったので画質ひどいです。
なんといってもこの本社ビルはエコなことで有名なのです。とにかく環境に配慮したデザインかつ、オフィスとして透明性のあるものを目指したそうです。
空間として居心地がよいだけでなく、雨は集め再利用され、天候にあわせ光を最大限に利用するシステムをもっています。リサイクル資材も多用。余裕のある企業だけができることですが、こういった取り組みの生み出すコーポレートバリューの向上ははかりしれないですね。間近ではビルゲイツが自社に取り入れるため見学に来たとか。
そのあとは近くにあるMITミュージアムへ。MITが研究した最先端の科学を手に触れるカタチで体験できるところです。
表情のあるロボット。ファービーみたいだ。
あまり写真は取らなかったのですが、さながら美術館のような機知に富んだデザインのからくりも多数あってとても面白い場所でした。おすすめです。
昨日は夜にボストン響のオープンリハーサルを聞いてきました。こっちはチケットが本当に安い。送料含め20ドルちょっとでした。ただ早稲田の国際教養からBUにきている学生は学校の援助?でフリーだったようでうらやましい限りです。
建ってから130年ほど経つというボストンシンフォニーホール。
プログラムはMarcelo Lehninger指揮でサミュエル・バーバーの序曲「悪口学校」、ベートーベンのバイオリン協奏曲、チャイコフスキーの交響曲5番でした。
演奏はリハながら感動的。とにかくチャイ5がすごかった!!まさにアメリカのオケという感じのブラッシーに響かせるブラス、芳醇な低弦のサウンドと何もかも初体験でした。ホールの響きも潤沢で、各セクションの音が浮き上がるように立体的に聞こえてきたのが印象的。みずみずしい2楽章のホルンソロ、ここぞというときのチューバとボーンセクションの分厚いハーモニーもしびれました。とにかくメリハリのある音楽づくりでとても良かった。こんなのが日常的に聞けるなんて本当にすごすぎる。リハながらスタンディングオベーションもちらほら。
やっぱりチャイ5は構成が本当にわかりやすいです。またメロディーも申し分ない美しさ。聞いていて本当に楽しめる曲だと思います。また演奏したいなぁ。
序曲「悪口学校」は初めて聞きました。弦楽のためのアダージョで有名なバーバーの初めてのオーケストラ作品とのことです。絢爛なオーケストレーションと美しい旋律で非常に楽しい作品でした。バイオリンコンチェルトは・・ソリストの方もすばらしかったのですが・・授業の疲れがそのタイミングに来てしまい・・もったいないことをしてしまった。すばらしいテクニックだたのですが、ちょっと印象の薄い音色だったような気がします。良かったのですが。
やっぱりオケは楽しいです。たくさんの老夫婦が聞きにきていて、みなさん本当に幸せそうだった。こんなすばらしい芸術が気軽に楽しめるボストンはなんて幸せな環境なんだと思います。ウィーンに行った友達が言うにはヨーロッパはもっとすごいらしいですが。ぜひまた聞きにきます。
リハーサルなので団員のみさんは私服です。このフランクな空気がまたいい。
<イタリアンな夕食>
今日のカフェテリアはテーブルクロスがあったりいつもと雰囲気が違う。実はイタリアンレストランからシェフがきてそこと同じメニューとのこと。なんて太っ腹な。
ただパスタは超おいしかったけど、何もかも超混んでいました。
今日は部屋の大掃除の日でした。1ヶ月もいればさすがに厳しくなります。というか最初の掃除が中途半端だった。でるわでるわのホコリできりがない。コロコロが大活躍です。大変だったけど部屋がきれいになって気分もちょっとすっきり。ちなみに普通は部屋では靴で生活するんですが、僕たちはきれいに雑巾がけしてスリッパオンリーにしました。ルームメイトがアジア人でほんと良かった。
今日は夕方に新しいコンバセーションパートナーと会いました。金曜日に会っているコンバセーションパートナーの女の子も超すばらしいんですが、アメリカ人の希望に対して日本人が足りてないというオファーを受けたのと、男の子と知り合いになればもっと気兼ねなく話せるかもという思いから紹介してもらったのでした。
<日本語はすごい>
彼はボストン大の一年生で、日本がすきというよりも言語の勉強が楽しくて学んでいるとのことだった。中国語なども学んでいる彼曰く、日本語はいちばんおいしいとこどりの言語らしい。中国語から漢字という表意文字をもらいつつも、日本語の発音を全て表せるひらがなという表音文字を別に持ち、またカタカナという外来語を自由に(発音の正確性はともかく)表現できる手段をももつ。確かにこれはすごいことだ。
いま彼は必死に漢字ひとつひとつの意味と読みを覚えているというが、本当に大変そうだ。字そのものの複雑さもさることながら、発音も音読み訓読みがあり一筋縄ではいかない。
中でもとくに難しいのは熟語だ。すでに小学校時代から漢字を学んでいる僕たちにとっては、たとえ新しい熟語が出てきたとしても知っている漢字からイメージを感じることができるため、むしろ便利な存在だ。読みもフィーリングでだいたい感じ取れる。しかし外国語学習者にとってはこれほどやっかいなこともない。ひとつひとつ全く別の読みをもつ違った単語という認識しかできないからだ。漢字単体の意味と熟語のイメージを結びつけるには膨大なインプットが必要となる。日本人レベルの理解ができる脳内シナプスの形成には、英語の学習におけるボキャブラリーの蓄積とは比べ物にならないほど大変だろう。
彼は冗談まじりに「ほんとうに日本語を最初から話せる人はうらやましい。英語を後から学ぶほうがはるかに簡単だろう」と言っていた。英語は決して簡単ではないと思うけど、日本語の楽しさを教授していると、確かにちょっとそう思う。日本語独特の擬態語とか大好きだけど、学習者にとってはやっかいこの上ないだろう。
聞かれて困ったのは「八百屋がなんでvegetable storeなのか」という質問。考えたこともなかった。とりあえずたくさんあることのイメージとして「八百」を使っているとは伝えたけど、どこらへんが野菜を意味しているのかは説明できなかった。実際帰って調べてみたらいろんな説があるみたい。こりゃ難しい。
あと面白かったのが
「東京へ行くかわりに京都へ行きます」と
「東京へ行かないかわりに京都へ行きます」の
違いは何かという質問。びっくりした。
ちょっと混乱しつつも冷静に考えてみる。うん、違いはない。ただの言い回しだ。英語の直接的な意味を伝えて、ただそれだけの違いだと言ったら一応納得していた。さすが言語に興味持っているだけあって気にするところが面白い。
<英語を話すために大切なこと>
自分の発音をぶっちゃけどう感じる?と聞いたら「中国訛りで臆せず話す人たちよりは聞き取りやすい、ただやっぱり日本人ぽさがある」とのことだった。ではどこら辺が日本人ぽいのか?と聞いたら、イントネーションとシラブル(音節)のせいだと言われた。やっぱりというか、発音そのものではなかった。
これは英語を学ぶ日本人が往々にして見落としがちなことですが、実際の会話で「より理解してもらえる英語」を話すために大切なことは、発音そのものよりも、実はイントネーションだったりします。
日本語は高低で意味合いが変わる言語なので、アクセントという概念がありません。なので相当意識的に話さないとそれっぽくなりませんし、またその感覚が理解できないと簡単な単語も聞き取れません。
たとえばHow much is it?という文だったとして、極端なカタカナ英語だとハウマッチイズイットと抑揚なく話されたりします。もちろんハウマッチが聞こえれば通じないということはないと思いますが、この場合muchに文のアクセントが置かれis itはおまけのようにサラッと流れます。たいして重要ではないからです。重要なところにアクセントを置くというルールはどんなに長い文でも存在し、このアクセントの位置を間違えるとどんなに正確に発音をしていてもとたんにわけがわからなくなってしまいます。これぐらいの短い文であればそれほど問題にはなりませんが、ある程度長いセンテンスでノーイントネーションをやってしまうとほとんど理解してもらえないと思います。
また単語ごとのアクセントも重要です。たとえばフォトグラフィー(写真)をカタカナ英語で言ってしまったとしても、トにアクセントがしっかりとついていれば理解してもらえる可能性は高いですが、日本語読みのノーアクセントではほとんど無理でしょう。
ほかにも音の連結など重要ですが、とにもかくにも理解してもらえる英語を話すためにはまずイントネーションの意識をもつことが大切です。この改善のために、自分はとにかくシャドーイング(聞いた文を続けてしゃべる練習)を続けてます。
あともうひとつ日本人ぽいと言われたシラブルですが、これは偏にカタカナ発音のせいだと思います。完全に別のものとして捕らえることが大切ですが、なかなかこのしがらみから抜け出すのは大変です。
有名なマクドナルド。日本語では「Ma Ku Do Na Ru Do」の6シラブルですが、英語は「Mc、do、nald’s」の3シラブルです。アメリカ民謡で日本でもよく歌われている童謡に「一郎さんの牧場でイーアイ イーアイ オー」という歌がありますが、これは英語では「Old McDonald had a farm, E-I-E-I-O」と歌います。シラブルが正しくないと絶対できないですね。発音を常に母音で終える日本語ネイティブとって、この子音同士のつながりや子音で終わるというのは体がなかなか理解してくれない。本当に難しいと思います。
かくいう僕もアメリカにくるまでパソコンのマックとファーストフードのマック、同じ発音でアメリカンは混乱しないんだろうかなどと真剣に考えていたようなアホでした。精進あるのみです。
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