劣化したブログ情報の増加とその選別の難しさ

何を調べるのにもインターネットが当たり前の時代になってきたが、数年前に比べ有益な情報にたどり着くのが本当に難しくなってきた。ブログの増大がその大きな理由なのだが、最近その発信年代による選別の難しさというのをすごく感じる。
ちょっと前まで、いわゆるテキスト系サイトのブームがきた2000年前後あたりは目的の情報まで比較的楽にたどり着くことができた。そのころのヤフー検索では、自分のキーワードを含むディレクトリ分類された登録サイトがまず検索結果として表示され、すなわちそれらは一定の情報レベルを満たしていると言えるものであった。なかなか深い情報に辿り着けないということはあったが、それでも比較的楽に情報収集ができたと思う。
最近は相当にキーワードを絞り込んだり、言い回しを工夫しないと目的の情報に辿り着けない。というかあまりにもどうでもいい情報が多すぎるのだ。これは個人ブログと、広告サイト(アフィリエイトを目的をしたものなど)の爆発的な増大が原因だ。しかもそれらの情報の方がテキストサイトなどより検索で上位に来やすい。しかしながら、それらは検索エンジンの進化と検索テクニックの工夫で、ある程度ふるい落とすことができる。ブログという情報源の有益さは自身も認めるところであるが、最近本当に問題だと思うのは、劣化した情報が加速度的にひたすら増え続けていることと、それらが検索において同じプライオリティでネット上に存在するという事実だ。
これはブログだけでなくネット上のニュースサイトでもそうなのだが、苦労して調べてたどり着いた情報が、ソースをよく見ると2005年であったりする。興味をもって見ていたらとっくに販売終了した商品だったり、もう閉店したお店の情報だったり、古いソフトウェアの情報であったりすることがままあるのだ。もちろん求める情報の種類によっては、その発信年代に左右されない普遍性のあるものであったり、過去の情報であるからこそ意味があるものも多い。しかし問題は、そのどちらの種類の情報であっても、キーワードの一致とそのリンク数などといった同じ条件に基づいて検索エンジンで結果として吐き出されることだ。
個人ブログがブームになりはじめた一昨年あたりまでは、こういった問題をそれほど感じなかった。しかし最近、化石と化したブログや古いソースの情報がネット上に放置され、それらが本当に今欲しい情報を手に入れる大きな妨げになっている気がしてならない。危惧すべきは、メディアリテラシー能力の低い小・中学生などが、こうした古い情報をその古さを認識せず鵜呑みにして振り回されてしまうことだ。本や新聞などの活字情報は古くなると物理的に人の探索範囲から離れ、埋もれていくが、ネット上の電子情報はそのようなことがない。古い情報もヒットし続ければ、その探索範囲の上澄みに存在し続けるのだ。これはネットの良い面でもあり悪い面でもあるだろう。
個々人が情報発信者となったいま、有益な情報とそうでない情報を見分けることを個人のメディアリテラシー能力の向上に期待する向きがほとんどだが、このペースで増え続けていけば、いずれ人のリテラシー能力のキャパシティを越えてしまうような気もする。まずは作成・更新の時期による情報管理・検索システムの構築を期待したい。

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